BOOKS HIRO通信 第169号
(1)みなさまこんばんは
念願の(前回のニュースレター参照)辻邦生電子全集を入手、第一巻は『背教者ユリアヌス』。紙の本(焦げた羊皮紙風の装丁が素晴らしかった)をかなり時間をかけて2回読んのだが、それはPASSAGEで昨年売ってしまった。売るとまた読みたくなってくるが、かなり大型の本なので、また買うのは読書終活上好ましくない。次善の策としてKindle版を購入。私としてはかなりの速度で一週間で読み終える。所用で軽井沢まで往復したが乗車した北陸新幹線中でもかなり読めた。最初に読んだときと同様、電子版でも大きな感銘を受けた。
そもそも電子版の本をどれだけ腰をいれて読めるか、次は、初読みの鹿島茂『渋沢栄一』でためしてみることにし、読み始めた。もっとも、本のジャンルがちがうので比較は難しいだろうが、やってみる。
どんな形にせよ、読むことが楽しいのが『背教者ユリアヌス』の素晴らしさだが、今回は現代日本の拝金主義と理想主義の戦いを考えるヒントとして読んでみた。邪道?
ともかく、紀元4世紀頃の、ローマ帝国の国教化されて間もないキリスト教の未熟なゆえの偏狭さと、ギリシャ・ローマのリベラルな文化を愛するユリアヌスとの戦いとユリアヌスの若年での死の過程を追って読んでみた。
寄り道記述だが、電子版の良いところは途中で出てきたコトバをハイライトして辞書検索・Web検索・書籍内全文検索がたちどころにできることである。書籍内全文検索はこのような複雑な長編小説を読むときにとりわけ便利で、ものごとを忘れがちな老人の読書には不可欠と言っても良い。
少し引用してみる。(引用も電子版だと簡単にできる)
私は、むしろ大遠征を企てているからこそ、それだけ読書や思索が必要なのだ。というのは、読書や思索は、私がペルシア遠征という困難な仕事に首まで漬りそうになることから、私を救いだしてくれるからなのだ。ゾナス、こう言うと私が逆説を弄していると思うかもしれない。しかし人間は、事実、どんな大事件であれ、それに首まで漬っては、その全体を見ることができなくなるのだ。全体が見えないとき、人間はそれが進んでいる方向を見失ってしまう。方向を見失えば、その事柄は、まるで大洪水のように、勝手に、ばらばらに狂奔していて、それにどう対処したらよいか、わからなくなるのだ。
初期キリスト教徒の偏狭さに対して、ユリアヌスの愚直とも言える公明正大さがきわだつ。
もう一つ引用する。(便利さの乱用に注意したい >自分 )
小説は夢想や告白など私的領域の展開にそのロマネスクな本質をもつ。この事実は、歴史小説の場合にも妥当する。帰国してから日本の学者の著作にふれることが多くなった昨今、歴史と小説の本質的差異を私は一段と強く感じるようになっている。
(これは「夢想のための書庫」という辻邦生の随筆(電子版特典収録)から引用した。)
このような辻邦生の執筆態度にも深く共感した。これこそ、リベラル。最近の小説家でもこのような方が増えてきて頼もしい限り。新たな読書意欲もわいてくる。
さて、電子版の辻邦生全集はこれから発行で全20冊。毎月読むのが楽しみだし、私にとっての辻邦生の世界のなかでも、以前読んでいた紙の本に増して、新しい発見がありそうだ。今後の読書生活がますます楽しみになってくる。
(2)現在の私の棚主ページです
SOLIDA
RIVE GAUCHE
***
また来週。
すでに登録済みの方は こちら