BOOKS HIRO通信 第117号
(1)みなさまこんばんは。
今週は外山滋比古さんの『異本論』(ちくま文庫)を読みました。
著者のあとがきから引用します。
読者の立場に立つと、作品の意味は作者の与えたものが唯一正しい、と言う考えに疑問をいだく。作者の原稿、初版本が最も正しいテクストであるとする文献学の建前を否定しなくてはならなくなる。そして『異本論』を創り出した。作者の手を離れた作品は、読者の間で異本を生じるが、それは決して乱れた悪いテクストではない。原作の生成力の発現であると言う観点に立つのが『異本論』である。異本を生まないテクストは死んでいる。古典は異本の中から生まれると言う考えである。文献学的方法によっていたのでは、外国人の文学研究は不可能であるけれども、異本を認めれば、外国人読者は貴重な存在となりうる。
なるほど、目から鱗が何枚かおちました。古典のみならず「良い」本は多くの版を重ね、何度も引用され、読者から多様な解釈をされます。ときには、「わからない」と不評も買うことがあるし、いわゆる「曲解」されることもある。著者の思いも寄らない読み方をされることも大いにある。この状況にはマイナスのイメージがつくことがありますが、外山滋比古さんは積極的な意味があるとおっしゃっています。なるほどです。
課題本を読み解く読書会の意味もこう考えると違ってきます。他の読者の意見と自分の意見が違うことこそ望ましいし、違う意見を多く聞くことによって課題本の価値が増すことになります。
そして「異本を認めれば、外国人読者は貴重な存在となりうる。」というところでは、毬矢まりえさんと森山恵さんの源氏物語のらせん訳のお話も思い出しました。その件と、高遠弘美先生の貴重な訳業にかんしても、われわれ読者を貴重な存在にまで高めてくださるありがたいことなのだとあらためて思いました。
もっと言うと、PASSAGE4店舗で盛んに行われている、棚主さんたちの貴重な選書結果が並んでいる数多くの書棚のつらなり、これは読者を増やす(異本をふやす)ためには最高の存在です。棚主をやることの積極的な意味がここにあります。
ところで、毬矢まりえさんと森山恵さん・高遠弘美先生の棚もPASSAGE・SOLIDA・RIVE_GAUCHEにあります。棚主ページはこちら。
(2)現在の私の棚主ページです。
来週は月曜日(PASSAGE)、水曜日・木曜日(RIVE GAUCHE)でバイトスタッフ勤務です。楽しみです。
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