BOOKS HIRO通信 第212号
(1)みなさまこんばんは
PASSAGE SOLIDAの「福岡ハカセの動的書房」から『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(サイン入り 2012年 文春文庫)を購入し、今週読んだ。

週刊文春に2008年から連載のコラム「福岡ハカセのパラレルターンパラドクス」の70回分をまとめたものらしい。福岡ハカセ(と表記させていただく)の幅広いテーマの講演を聞いているような、面白い本である。
私の趣味は読書なので、その立場から印象に残ったところを抜き出してみたい。
どんな細胞でも、その中身、つまりタンパク質や脂質など細胞を形作る分子群は絶え間のない合成と分解のさなかにあり、流転しながらも何とかバランスを保っている「動的平衡」状態にある。それは脳細胞とて例外ではない。だから脳細胞のなかにある種の記憶を物質的に保持しておくことは不可能である。(中略)強い刺激が通る回路、繰り返し電気信号が流れる回路は、その都度、強化されよりスムーズに電気が流れるようになる。おそらく記憶とはこのようにしてつくられる。脳細胞の外に、脳細胞と脳細胞とが連携して作り上げた回路、その回路の形として記憶が保持される。脳細胞が星ならば、回路は星座である。
読書をしているときに、突然なつかしい感じに襲われることがあるが、これを科学的に平易かつ見事に説明し、なおかつその説明の文章自体が美しいという、すばらしい力技だ。この一節を読んだだけでも、この本を購入した価値がある。
しかし、次を読んで「自己愛」というコトバにどっきりする。
なつかしさの正体は、モノやコト自体にあるというよりも、その時の自分がなつかしいのである。つまり、なつかしさの正体は、一種の自己愛なのだ。(中略)なつかしさとは何かがおぼろげながら見えてくる。ありありとそれが思い出されるのは、自覚するしないに拘わらず、何度も思い返して、その都度強化しつづけているからである。なつかしさとは、いとおしいペットのような自己の記憶なのだ。時に人はそれに足をとられ、しかし時にそれは解毒剤のように何かを溶かし慰撫してくれるものである。
よく読むと、福岡ハカセは逃げ道を用意してくれているのだ。遊行期老人(私)には限りなく優しい。
この本を読んでいると、そこはかとなく、「なつかしい」感じにあふれてくる。ドリトル先生航海記』や各種「昆虫図鑑」などおなじような本を子供の頃読んでいただけからではない。ルリボシカミキリの青に魅せられるて昆虫採集にはまり、それをきっかけに公立図書館の本を読み尽くす、アイザック・アシモフにも似た福岡少年の姿に代表される、「自分」の作り方になつかしさを覚えるからだろう。
いままで、福岡ハカセの本はあまりマジメに読んだことがなかったが、『動的平衡: 生命はなぜそこに宿るのか』と『生物と無生物のあいだ』をあわてて入手手配してしまった。はまりそうで、楽しみだ。
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