BOOKS HIRO通信 第211号
(1)みなさまこんばんは
『人にはどれほどの本がいるか』は著者のデビュー作ということだが、内容は老成?している。

4万冊以上の書籍を所有する主人公「唐蔵餅之絵」の晩年、書籍整理のバイトの若者との交流を軸に、読書三昧生活の終活を描く。(78歳でなくなる数年間の物語なので、同年輩同趣味の私にとって、手に取らずにはおけない本だった。本は4千冊以下だが。)
まず、旅館経営を引退している唐蔵餅之絵の建てた、読書用の館が魅力的。モンテーニュの塔をモデルにしているようだが、本の数という意味で規模は数十倍だろう。最終的には本は大部分処分されてしまう。選ばれたものは残して図書館のようなものになる。その過程がこの物語の眼目だと思う。
過程を詳しく書くとネタバレと言われそうなので、断片的に見てみる。細かいところが非常に興味深いが。
心身ともに衰えた唐蔵餅之絵は、本の整理・処分作業をしてもらおうとバイトのアシャグビ(日本人)を雇う。ここが最大のポイントだろう。若く健康で読書好きな学生のアシャグビさんは、ほぼ独力で数カ月のうちに乱雑だった本の整理をし、内容の充実した電子目録を作る。書誌情報のみでなく本への書き込み有無・程度も登録されている。
電子目録を見ながら、唐蔵餅之絵はおどろく。書き込みのあるとされる本についてほとんどなにも覚えていない。今までの半世紀以上の読書研鑽は何だったのか。
しかし、アシャグビと会話を続けるうちに、あるいはペットの九官鳥に『文読む月日』(トルストイ 北御門二郎訳)を読み聞かせながら、唐蔵餅之絵はある重要なことに気づく。読んだ内容のエッセンスは咀嚼されて記憶されており、それが自分の人格の一部になっている。
ここで以下のゲーテの箴言を思い出した。
自分が感じたもので、自分が見たもので、自分が考えたもので、経験したもので、想像したもので、理性で判断したもので、――できる限り「言葉」を直接に、言葉そのものに直面して、いきいきと理解しなければならぬ。これがわたしたちの、日ごとに課せられた、回避できない、厳粛な義務である。
この箴言については以前ここに書いた👉️BOOKS HIRO通信 第134号
かなり満足して唐蔵餅之絵はなくなる。死装束は貴重な本の切り抜きなどで作られているがこれは残された家族に取っての象徴的な意味しかないだろう。
知的なおとぎ話と思えるが、77歳の私にとっては、最高に役に立つ本だった。
***
『文読む月日』を入手して目を通してみた。そして、北御門二郎という人物を調べてみたが、このひとの生涯もかなり面白い。以下を読むとわかる。
北御門二郎 著『トルストイとの有縁』,武蔵野書房,1981.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12575818
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