BOOKS HIRO通信 第208号
(1)みなさまこんにちは
『鈴木信太郎 巴里日記1954』(鈴木信太郎著, 鈴木道彦監修 閏月社 2024年)を読んだ。PASSAGE RIVE GAUCHEの巴里読書室さんで入手したもの。瀟洒な製本にも魅了された。

鈴木信太郎は1995年生まれなので、1954年当時は59歳、東大文学部長を定年で終える直前だ。1925年に私費留学したころを懐かしみにパリに行ったのだろう。一方、先年(1950年)に助教授として一年の予定で留学した森有正が現地に居るまま辞職の便りのみをしてパリから戻ってこないし、人を通じて帰国をすすめても変える気配がない。それで、業を煮やして、自ら帰るように説得しに行ったとも考えられる。
懐かしいパリで美食と美酒(本書の巻末に「料理・酒一覧」がついている!)に酔いながらも、ほぼ毎日といえるほど森有正と話し合う様子が書かれている。鈴木道彦の解説を読むと普段は日記をつけない鈴木信太郎が、この旅行では克明に記録をつけているだ。そのなかに、森有正が空港に迎えに行き、食事につきあい、ホテルで会話し、最後は泊りがけで空港に見送りに行く姿が描かれている。
鈴木信太郎の日記はかなり簡潔なのだが、森有正の言動についてだけは妙に詳しい。かなり熱心に説得を試みたのだろう。どうしても言うことを聞かない森有正の頑固な性格への愚痴もこぼれ出る。言うことを聞かない息子に対する父親のようだ。最後は感情的にすらなっている。
東大の教授にもなれそうだった森有正が、鈴木信太郎の言うことをここまで聞かずに将来の栄達をこばんだのはなぜだろう。今となっては知る由もない。
森有正の日記を「森有正全集」で読んでみても、鈴木信太郎とのやり取りの記録はない。日記に書けなかったか、あるいは書いたものを破棄した(またはされた)可能性もあろう。
主著『バビロンの流れのほとりにて』の冒頭の部分にある、以下の記述は、当時の森有正の気持ちを間接的に説明しているのではないかと思う。
「僕は僕のヴェリテに従ってのみ自分の思考と行動とを規律しよう。それに反する事は一切しないことを決意する。」
その直前で、「人間が人間らしく在るということは、このこと(人間が自分の本体を見てそれを知ること)だけだと思っている」と書いているが、「人間を人間らしく」できるのは世界の中でパリだけだと、森有正は思ったのかもしれない。学者としてパスカルやデカルトを研究する人生に飽きたらなくなり、自分自身で哲学する道を選んだのだろうと思う。それを促したのがパリという都会だったのだろう。
鈴木信太郎は多分このことは十分理解したのだろうが、それでも後輩の将来を考えると、自分のように涙を飲んで日本に帰ってこいと言ったと思う。それをわかりつつ、どうしても自分の意思を貫いた森有正と一緒にワインに酔いながら夜遅くまで語り合ったと思う。
勇気を持ってこの日記を公刊した鈴木道彦に敬意をはらいたい。鈴木道彦はこの本の発刊後半年で父信太郎(1970年 74歳)と同様に循環器系の疾患で亡くなった(96歳)。森有正も1976年に血栓症で倒れた(65歳)。
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