BOOKS HIRO通信 第139号
(1)みなさまおはようございます
PASSAGEの書棚「とみきち屋」さん(いつも良い本をご紹介いただきありがとうございます)で、『霧の彼方 須賀敦子』(若松英輔著 集英社)を購入しました。今週のバイトスタッフ勤務4日間の行き帰りの電車で読了しました。
この本(100ページ)によると、そして『須賀敦子全集 第8巻』末尾の年譜にもよると、1952年・昭和27年ごろ加藤周一の『戦後のフランス』を読んで、22歳の須賀敦子はフランスへの留学を考えはじめたらしい。実際にパリに向けて貨客船平安丸で旅立ったのは1953年。ジェノワに着き、後にミラノのコルシア書店を紹介してくれたマリア・ボットーニの案内でパリに向かった。紆余曲折のあと、イタリア語を学び、イタリアへ。
141ページの印象的な文章をひきます。
孤立はない方がよい。しかし、孤独は人間にとってなくてはならない人生のひとときである。孤独は孤立の対極にあるのかもしれない。孤独の意味を知る者はけっして群れない。
358ページにある、コルシア書店への、若松英輔による言及を次にひきます。
金銭という量的なものから可能な限り離れた場所で、質的な自分たちの固有の幸福を探求し、それを現出させようという態度に心打たれるのは、、須賀をはじめとした仲間たちばかりではないだろう。
416ページ。
『コルシア書店の仲間たち』からの、この本への引用。(コルシア書店はいわゆる左派と言われた神父たちがはじめた書店でしたが、)
せまいキリスト教の殻にとじこもらないで、人間のことばを話す『場』をつくろうというのが、コルシア・デイ・セルヴォ書店をはじめた人たちの理念だった
なるほどと思うのですが、ここで確認しておくべきは、コルシア書店は本当は書肆というべきものであったということです。つまり出版なども手掛けていたらしい。そのなかで須賀敦子はイタリア語をあやつる能力を磨き上げたのでしょう。イタリアいやヨーロッパ文明は須賀敦子にとって「霧」であったのでしょうが、その霧を恐れずに霧の中に冷静沈着に突き進んだ勇気が、いまや称賛の対象となっていると思います。
須賀敦子の生涯についてはまだまだ、「霧の中」にありますが、徐々にその「霧」そのものの正体がわかってきた感があり、またはその霧のなかにいるのが須賀敦子のあるべき姿であると思えてきました。ともかくまた、『須賀敦子全集』の読書を続けます。
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来週の予定。
日曜日(RIVE GAUCHE)、火曜日、木曜日(SOLIDA)でバイトスタッフ勤務です。
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