BOOKS HIRO通信 第156号
(1)みなさまこんばんは
物置部屋を何とか片付けて、最小限のスペースを確保した。邪魔されずにゆっくり読書ができる。エアコンのない部屋なので、この時期は暑いが、閉じこもって、本を読んでいると妙に落ち着く。暑さで余分な感覚が麻痺している。不思議な没入感。
夏の読書といえば思い出す。「夏休みを過ごす祖母の古い家では、天窓と崩れかかった梁のある屋根裏部屋は煮え立つほどのスレート屋根の下にあって、文字通り窯」の中で、『失われた時を求めて』14巻のうち、書棚から唯一持ち去られていなかった「消え去ったアルベルチーヌ」を読みふける若きフランソワーズ・サガンのことを。
(上記引用は『私自身のための優しい回想』(フランソワーズ・サガン 朝吹三吉訳 新潮文庫)の170ページ。)
このあとのページで、サガンは『失われた時を求めて』を初めて読む人に、「消え去ったアルベルチーヌ」から読むことを勧めている。最初の一文が衝撃的だからという。
私も高校から大学の夏休みに実家の応接間で、新潮社の黃色の装丁の世界文学全集で、サガンの『悲しみよこんにちは』やコレットの『青い麦』を読み、トーマスマンの『トニオクレーゲル』、『魔の山』などを読みふけった。その時の部屋の静けさや、暑さ、少しかび臭い空気の質を鮮明に思い出す。そこには読書の持つ「永遠性」を助けるものがあった。これらの本を今でも手に取るたびに、初めて読んだ瞬間の暑い静けさを思い出す。
秋や春ばかりではなく、夏も読書のために良いシーズンなのではないかとつくづく思う。
(2)現在の私の棚主ページです
SOLIDA
RIVE GAUCHE(『青い麦』の原書もありますよ)
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また来週。
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