BOOKS HIRO 通信 第198号
(1)みなさまこんにちは
辻邦生の『トーマス・マン』(1983年 岩波書店)冒頭の「小さなプロローグ」にこう書いてある。
マンという作家をもう一度眺めて見るのは、自分の精神の系譜をたしかめる上でも意味があることに思われるのである。
辻邦生の創作作品はもとより、生き方もトーマス・マンの影響を大きく受けているということだろう。
第二次世界大戦中に旧制高校生となった辻邦生は、トーマス・マンの『来るべきデモクラシーの勝利について』をテキストにした望月市恵の講義を聞いたという。またその前後に『トニオ・クレーゲル』や成瀬無極訳の『ブッデンブローク家の人々』を読み耽った。そして、
いつまでもその小説世界にとどまっていたいと感じた
私もやはり、『トニオ・クレーゲル』をはじめとして、『魔の山』や『ヴェニスに死す』を学生時代に読み、同窓のK君と読後感を徹夜で語りあった記憶がある。K君は残念ながら夭折してしまったけれど。
トーマス・マンは1875年生まれで1955年には80歳で亡くなっている。今では愛読する人は多くないらしい。私は半世紀以上愛読を続けた。新潮社の全集も手に入れて、これは今も本棚の一番手にとりやすいところに配架している。小説の主なものは読み、紀伊國屋書店が出した浩瀚な『トーマス・マン日記』も半分は古本で半分は図書館で借り出して10年以上をかけて全ページ目を通した。
学歴はあまりないが博学なトーマス・マンは西欧文明を知るための先生のような気がしていた。知識だけでなく、その生き方も学ぼうとした。亡命の地アメリカで年を取って病気がちとなった時の日記を読むと、本気で心配した。過去の話なのに。自分も80という年齢に近づくにつれ、逆境でも執筆への努力を毎日続けたトーマス・マンを見習いたいという思いが強くなる。ともすれば心弱くなる自分を励ましてくれる存在なのである。
1983年に出た、辻邦生の『トーマス・マン』は自分にとって当時から格好の読み物に見えた。断片的に読んでは積ん読本の山に戻すサイクルが続いたが、先週学習院ミュージアムで開かれていた「辻邦生展」で、復元された作家の書棚に『トーマス・マン全集』を見つけて感慨を新たにしたのをきっかけに改めて読み通してみた。

辻邦生にとっては、トーマス・マンは小説執筆修行の先生だったので、主な小説作品についての解説が詳細に書かれており、トーマス・マン好きの私の参考になったのは言うまでもない。ふたたび、トーマス・マンの本を取り上げる気になってきた。
今回もっと気になったのは、1875年生まれのトーマス・マンを、われわれが現代に読む意味を辻がどのように書いているかであった。
『トーマス・マン』の最後の部分の記述を引用してみる。
その生涯の最初の25年が与えた生の統一的な秩序が、いかに作家トーマスマンの中に調和として働き、かつその制作の根底にあって、それを守り続ける意志を呼び起こしていたかは、すでに見た通りである。とくにわれわれはマンが自己の創造の契機であるドイツ的な魔神性と自らのなかにおいて闘いつつ、かつヒトラー・ドイツとの闘いにおいて、それを対象化していった事実に、この作家の特意な運命を見てきたのである。あらゆる作家が悪しき運命に抵抗しながら、作品を書くものだが、トーマス・マンの場合には、それが自分の作品と結びつきつつ、同時に外に対して発揮されたのが特徴的である。その存在の形が、かつて「非政治的人間」と自己規定したその人が、まさにその自己規定によって、政治的になっていったというきわめて逆説的な仕方で実現されたというところにも、この作家の独特な個性が存在しているように思われる(中略)
おそらく、人間的なあらゆる価値、伝統的な文化概念が、風化の危機にさらされているかに見える現在、たとえ、文化概念が四散し、人間概念が崩壊したとしても、なおかつその廃墟から人間概念、文化概念がとらえられるとすれば、その最も確実な根拠として、大きな展望を持ち続けているのは、この作家の持っている広い教養と良心性に裏付けられた世界ではないか、と考えることに、異義を申し立てる人はないであろう。
今の内外の情勢を見ると心が萎えるような気がするが、そんななかでトーマス・マンと辻邦生を読み続けることで、力強い励ましを得られるような気がする。
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また来週。
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