BOOKS HIRO通信 182号

『正岡子規伝』を読んだら子規にスマートフォンをプレゼントしたくなった
hiro 2026.01.17
誰でも

(1)みなさまこんにちは

先週読んだ『ウォークス』(レベッカ・ソルニット)の影響で、「歩く」ことがテーマの本を読みたいと、『子規紀行文集』(岩波文庫)を読んでいる。編者の復本一郎の書いた子規の評伝本も一緒に読んでみたら大感激してしまった。

『正岡子規伝――わが心世にしのこらば』(2021年 岩波書店)というのがその本。周辺人物を点描して中心人物を浮き出させる手法が、自分の目指す天文学者の「評伝」を書くのに役に立つだろうというよからぬ願望もあったが、読み進むにつれそんなことより、子規の生き方の描写に圧倒されてしまった。

『正岡子規伝』から少し引用してみる。

明治30年(1897)の秋、子規は、 虫なくや俳句分類の進む夜半 の句を作っている。ライフワークとしての「俳句分類」(『分類俳句全集』)の作業は、1日も倦むことなく、着実に進められていた。
(182ページ)

子規は病気で寝たきりのまま、多数の俳書を渉猟し、大部(手書き原稿がまとめられて全12巻=国会図書館デジタルコレクションで読める)の『分類俳句全集』を作り続けた。これがすごい。子規のこの強い意志はどこから生まれたのだろうか。

「写生」の句ではなく、「病牀の」ごくごく「狭い天地で苦しみながら考へる」句、とならざるを得なくなってしまったのである。子規は、この活動的でない、斬新でない作品世界を、何とか打破しなければならないと、沈思黙考したのであろう。そこで、子規の中に浮上してきたのが、「俳句分類」の作業で活用した其角編の俳書『句兄弟』(元禄7年刊の方法。先行句(兄)に余想の契機を得つつ、自句(弟)を作るという方法である。
(183ページ)

子規の文豪たる由縁は上記で見た膨大な読書量だったのだろう。『分類俳句全集』を作ることにより、過去の名句はみな頭に入っていた。

旅好きの子規にとっては、芭蕉のこの生き方(漂泊)が目標とすべきものであった。それゆえに、地方の未知の俳人に対しても、このような句作りを勧めた。
(224ページ)

他には、旅に出たうえでの「写生」を勧めるのだが、自分は病床に縛り付けられている。これはジレンマ。

こんな子規に一筋の光明を齎したのが、「4畳半の古机にもたれながら、其理想は天地八荒の中に逍遥して、無碍自在に美趣を求」めた蕪村その人であった。
(225ページ)

子規は病室の内外の狭い範囲内から広大な世界を透徹した目で見つめることができたのだ。過去に旅をした記憶と、ずっと読み続けた大量の本のおかげ。そして子規を支える多くの人々のおかげもある。

虚子は翌三十四年(1901)(中略)子規の執筆の様子を伝えて、「横臥したるまま右を下にし、右の肱を突きて筆を握り、左の手に紙を持ちて僅かに原稿を書く外、姿勢の取り様なく、此の姿勢をとれば、忽ち左腹部に痛を生じ、その痛全身に響き、その苦悶名状すべからざるに至る。」と記している。
(256ページ)

1902年に35歳で亡くなった子規のこの様子に胸を打たれた。動かぬ体を精神力で鼓舞して鬼神のごとく「書いて」いる。

まったくのアナクロニズムだが、今私が手にしてこの原稿を作っているスマートフォンを子規に送ってあげたくなった。楽な姿勢で文章が書けるし、世界のどこの風景でも、美術品でも見ることができる。彼はどんなに喜んで活用するだろうか。逆を考えると、私はこの良い環境をもっと活用しなければならない。そして死ぬまで読み書きを活発に続けることができるであろうことを感謝しなければならない。

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また来週。

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