BOOKS HIRO通信 第188号

『バビロンの流れのほとりにて』と『砂漠に向かって』は50年来の愛読書
hiro 2026.02.28
誰でも

(1)みなさまこんにちは

『バビロンの流れのほとりにて』(森有正著 1968年 筑摩書房刊)と『砂漠に向かって』(森有正著 1969年 筑摩書房刊)は発行から数年以内に購入し、それ以降つねに座右においておき、折に触れて読み返している。どちらも森有正が異郷パリで暮らしながら思索を重ねる自分の様子を、書簡体のようなまたは日記体のような文章で書き綴った哲学的エッセイだ。どちらも絶版だが、以下で読めるようになったので、最近は人に読むのを勧めることが容易になった。

森有正 著『バビロンの流れのほとりにて』,筑摩書房,1968. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1673697 (参照 2026-02-27)

森有正 著『砂漠に向かって』,筑摩書房,1970. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12539498 (参照 2026-02-27)

折に触れてと書いたが、最近は乱読により自分の思考がまとまらなくなったと感じるときに、原点回帰すると称して読み返すことが多い。五十年間、気まぐれに好きなところを開いて読んだので、何回読み直したことになるのかわからなくなった。電車の中で便利な電子図書でも読んだが、紙の本は栃折久美子の装幀が美しいのでそれを楽しむためにも手に取っている。

森有正の文章の武骨な美しさにも惹かれる。最近は読みながら、「さわり」に行き当たるたびに快感を覚えるようになった。歌謡曲のサビを聞くときの戦慄と似ている。

これだけ愛読しているにも関わらず、森有正が文章にこめた想いはなかなか頭に入ってこない。砂漠にいくら水をまいても、すぐにオアシスになるとは限らず、継続的に水をやる必要がある。それと同じく、根気強く読み続ける必要がある。あと30年(?!)ぐらいかかるかも知れない。少しずつわかり「続ける」ことに意味があると思えるようになった。この本は、終活の処分対象の本にはもちろんならない。棺にはこの2冊を入れてもらうつもりだ。

ごく最近読んだ「さわり」を引用してみる。

そういう意識の中で美化されたパリの町から、ノートル・ダムをはじめとする建造物が、ぐんぐん群を抜いて、その美しさを露わしはじめた。そして今は、両者がほぼしかるべき平衡を得た状態に達したようである。こういう経験はなんと名づけて良いか判らないが、反省してみると、ノートルダムもパリも少しも変化なぞしていないのである。それはただ僕の変化、言い換れば、僕の内部の感覚の渦のようなものが、より安定した知覚に定着していく過程であった、と言える。内面の深まり、と言うよりも純化である。けれども、その際の重心はパリの側にあったので僕の側にあったのではない、という認識である。そういう経験の内面から、僕は、そこに本当の客観と言うものの一つの相を見た、と信じている。主観、客観と事もなげに、学生たちまで口走っているが、その一つ一つが経験に精密に裏づけされていない時、それがどれほど無意味なたわごとかと言うことを感ずるのである。そして、この相は客観と呼ばれるものの、諸相の中で最も重要なものの一つではないであろうか。

『砂漠に向かって』103ページ

ここでのキーワードは「経験」。人が経験を得るためには長い年月がかかる。その間にパリもノートル・ダムも美しくなっていく。余談ながら、ノートル・ダムが焼けたときに森有正が生きていなくて良かったと、伽藍の火事の日に思った。彼が晩年に住んでいたアパートは、ノートル・ダムがよく見えるセーヌ左岸にあったのを十数年前に見物してきた。窓から炎があまりにもよく見えて、大いに悲しんだだろうから。

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また来週。

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