BOOKS HIRO通信 第175号
(1)みなさまこんにちは
絶版本なので、国会図書館デジタルコレクションの送信サービス(*)で読んだことを紹介してもいいだろう。(古本はまだ流通している。)
(*)カーチャ・マン [著] ほか『夫トーマス・マンの思い出』,筑摩書房,1975. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12587373 (参照 2025-11-24)
敬愛するトーマス・マンの名作はどのように生まれ、構想のみで実際には書かれなかった作品はなにかのヒントを得たかった。なお、『トーマス・マン日記』(**)は10年くらいかけて、全巻読んでいる。(蛇足:日記はPASSAGEの私の書棚から2022年に旅立たせた。今は世田谷区立図書館で借りて読むことにしている。)
引用1(デジタルコレクション参照時は54コマ)
アシェンバッハの長編小説『フリードリヒ』は、トーマス・マンがついに書かずじまいに終わったフリードリヒ大王にかんする本のことです。彼は、結局、戦争中に『フリードリヒと大同盟』を書いただけでした。彼が長編小説に仕立てあげる気をなくしてしまったのには、いろいろな理由がありました。
いろいろな理由とはなんだろう、そもそもフリードリヒ大王のことを調べないとなんとも推測できない。『フリードリヒと大同盟』も読まないと。と考える切っ掛けを与えてくれる。嬉しい記述。なお、アシェンバッハとは『ヴェニスに死す』の主人公。
引用2(57コマ)
そして、私は、彼にいろんな種類の人間のことを話して聞かせ、ことこまかに描写してあげました。彼は、『魔の山』の中で、これらの人物を名前だけ変えて利用しています。
夫人がサナトリウムで療養中のエピソード。これは面白い。『魔の山』の超魅力的なキャラクター、ショーシャ夫人のモデルも語られたらしいが、マンは話を大幅に盛っていると思われる。
引用3(72コマ)
かれは、かれにできる限りのことをしました。ハインリヒ(マンの兄)は、はじめから折紙付きの左翼でした。これは天下周知の事でした。しかし、いわゆる市民的作家の中では、ナチスに敢然と立ち向かったのはトーマス・マンただ1人でした。ヘルマン・シュテールにしろ、ゲーアハルト・ハウプトマンにしろ、そのほかのだれにしろ、ナチスに公然と歯向かった者はひとりもいませんでした。トーマス・マンただひとりであった、と言っていいでしょう。
第二次世界大戦後 、大戦中に米国に亡命したマンをなじる声があったが、もちろんカーチャは夫を擁護している。
引用4(109コマ)
チューリッヒのトーマス・マン文庫には、かれが『ヨセフ』を書くのに利用した書物が全部置いてあります。かれは、猛烈な勢いでオリエント関係の文献を読み漁り、これを自家薬籠中のものにして、小説の中で見事につかいこなしました。
(中略)
いつも、こういった調子でした。かれには、学者の資質はありませんでした。かれは、自分に必要なものを吸収するだけで、それ以上は望みませんでした。かれは、冗談口調でこう言ったこともあります。「わたしは、作品に書いてある以上の事はなにも知りません。それ以上のことを質問されたり、試験されたりしては困りますね」
この話はとても楽しい。司馬遼太郎がある本を書く場合、トラック一台分、参考資料を買った(ファクトチェックしていません)というエピソードに似ている。
カーチャの本を読んでいたら、アイザック・アシモフの奥様の回想記(『I. Asimov: A Memoir』の末尾に収録)を思い起こした。
著者カーチャの最晩年の様子は『トーマス・マンとドイツの時代』(小塩節)に描かれている。
さて、50年以上読み続けているトーマス・マンをまた読みたくなってきた。今度は新潮社版全集の12巻、「書簡集」を全部読んで見る。トーマス・マンの作品は時間をかけて徹底的に読まないといけない。本人がそうして書いていたから。
(2)現在のBOOKS HIROの棚主ページです
SOLIDA
RIVE GAUCHE
***
また来週。
すでに登録済みの方は こちら