BOOKS HIRO通信 第176号

グランド・ツァー、センチメンタル・ジャーニー、そして人生は旅
hiro 2025.12.06
誰でも

(1)みなさまこんにちは

先週に続き、トーマス・マンの著作をいろいろ読んでいた。『詐欺師フェーリクス・クルル』(岸美光訳 光文社古典新訳文庫)の上巻巻末の訳者解説に以下のような記述を発見した。

十八世紀以前の青年貴族は(更に一部富裕層の青年たちも)、社会生活に入る前の一時期、精神形成の最後の仕上げとして、イタリアに遊学した。それを教養旅行(ビルドゥングスライゼ)と言う。英国ではグランド・ツアーと言った。親から軍資金を得ての馬車の旅。

(中略)

「教養旅行」は始まるとほぼ同時にそれ自体のパロディーのようなものになった。それを十九世紀の末に復活して、しかも世界規模で展開しようというアナクロニズムが、クルル=ヴェノスタの世界漫遊の旅である。

(中略)

クルルの物語の背景には間違いなく「教養小説」というジャンルの型が存在するが、その実質は抜き取られ、精神形成への期待は(もしそれを持つとすれば)、肩透かしを食らう。

フェーリクス・クルルは、世間知らずの貴族子弟ヴェノスタ侯爵を口先八寸で優雅に騙して、ヴェノスタ侯爵が行くはずだった世界漫遊旅行に代わりに行くことになる。騙しにいたる筋書きが面白い。結局は未完に終わった『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の後半で、パリからリスボンへの道行きをトーマス・マンは詳細に描いているが、そこの登場人物(列車に乗り合わせた)クックック教授の言動が傑作。(教授はゲーテがモデルだという説もある。)

下敷きとして、欧州貴族子弟にはやったグランド・ツアーという贅沢旅行があるらしい。名目は広く古典文化を学ぶことだった。グランド・ツアーに興味を持ち、いくつか本を手配した。そのうち『グランド・ツアー 英国貴族の放蕩修学旅行』(本城靖久 中公文庫)がさっき届いたので、目を通すと貴族の御曹司には家庭教師が同行したとある。その家庭教師のなかには、ジョン・ロック、トーマス・ホッブス、アダム・スミスベン・ジョンソンなどがいたとある。面白いのはこれらの家庭教師自身が各地の知識人と交流する良い機会になったということ。莫大な金がかかった(たいていは浪費された)らしいが、結果としては、金の良い使い方といってもいい。

以前から旅行記を読むのが好きだった。そのような私の目で見ると、トーマス・マンの他の著作にもグランド・ツアー的なテーマが読み取れる。『魔の山』の主人公、ドイツの良家の子弟ハンス・カストルプはスイスのサナトリウムにでかけ、そこの環境で多くの人に出会い、特にゼテムブリーニという人文学者の薫陶を受ける。『ファウストゥス博士』の狂言回しのツァイトブルームもギリシャやローマに出かけたと最初の出だしに書いてある。大学での教育を受けていないトーマス・マンはここにある種のあこがれがあったのだろう。

ロレンス・スターンの『センチメンタル・ジャーニー』に描かれる旅行もこの流れで考えることができるだろう。まったく時代は違う(20世紀はじめだ)が、天文学者のヘンリエッタ・リーヴィットも変光星の研究を中断して二度ほどイタリアに旅したという。彼女は旅行記を書いていないのがとても残念。

私の年になると実際の旅行をすることは気力・体力(と経済力)が許さない。代償行為として旅行記を読む。安楽椅子旅行というやつ。そして、「人生はすべて旅のごとし」と言いながら、読み古した旅行記をPASSAGEの書棚で旅立たせる。

でも金に糸目をつけないグランド・ツアーには行ってみたかった。せめて来年の初夢でいってみたい。そうしたらこのニュースレターに架空旅行記を書いてみるつもりだ。

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SOLIDA

RIVE GAUCHE

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また来週。

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